[非模型話] カメラクラスタはなぜ燃えやすいのか

大体クラスノヤルスク上空あたりでこのポストの大元になったツイートをもりもり書いていた気がするんですが、当然飛行機の中に入ればそれなりに暇なわけで。そうすると色々な考えが頭に浮いてくる。その結果として書き上げたものなので内容的には当然多分乱筆の類を出るものではない。そこんとこを理解した上でもし何か思うところがあればそれはそれで Twitter とかでつぶやいといてくださいまし。僕はこのブログを単純に自分の備忘録だと思っているので、とりあえずここに色々書き出しておいておくことにする。尚只今イスタンブールにいます。

 

カメラクラスタが何やら燃えがちなのってさ、結局皆んな自分が買った物使ってる物入手した物がいい物だ、意味があるものだ、って信じたいからだと思うんだよね。いやぁオレは違う!つったってさ、ダメでダメでしょうがないから買う、っていう行為もそこになにがしかの意味を見てるわけじゃない。それを外野からやんややんや言われたら、普通は当然気分は良くない、よね。

ましてやカメラは主観的な要素が多分に入る世界なわけで。神立先生の撮るライカの中の記載だったと思うけど、結局ブラインドテストやったらツァイスだって国産レンズだって見分けがつかなかった。結局我々は写真を食うときにブランドや世評っていう調味料の味付けで食ってる部分が多分にあるわけだ。以前とある光学関係の方とTwitterのDMでお話しさせて頂いた時も、性能と評価が直結しないのが写真用光学世界、という事を仰っていた。色んな、それも主観的な外部の味付けが絡んで最終的に美味しい物マズイ物になってるわけ。素材が全てじゃない。

問題は、往々にして我々は調味料の味を食っていながらに俺の舌は凄い!素材の味を真に楽しんでいる! 楽しめている!みたいになることなのよね。こうなるとメラメラ行きやすい。これは危ない。 どこからどこまでが調味料の味かの切り分けができていないのに、まるで自分が非常に優れた舌を持っているかのように錯覚してそこに変な自信を持ってしまう。これはヤバイ。

ついでに言うとカメラクラスタって今みたいに希釈される前のオールドスクールオタクスタイルの人が多い(老人も多いし)わけで、社会性に大いに問題があるタイプが大量にいる。写真という成果物が発生する以上、往々にしてそこには自己顕示欲の強い人達も大量に出てくるわけで、これがいわゆるコミュ障的なアスペクトと組み合わさると非常にやばい。これが自分の舌の感覚を変に過信するとまぁ迷惑だ

オールドスクールオヲタは基本的に万人の万人に対する闘争状態をが基本の部族なわけで。俺はお前より知識が多い=お前より良い/佳い、優れているという殴り合いが文化基盤の一つとして存在するのは間違いない。 オタク同士の会話が往々にして知識の披露合戦に陥りがちなのはそれが一つの自分の対象物に対する信仰心の深さ、その告白になるからに他なく、またそれがいわゆるステレオタイプとしてのヲタのイメージとして存在しているという事実はそこに一片の真実を含んでいるのは間違いない。即ち、この傾向はヲタという人種が昔から営々築き上げてきた一緒のドグマ、一種の文化、そう言ってしまって過言ではないと思う。その文化を下地にして写真やカメラという実際の上手い下手、或いは凄い、すごくない、レアコモンみたいな尺度が存在するる物を対象にした上で、コミュ障的なオールドヲタは自分の舌を過信した結果錯覚や誤解に基づく味を感じたことを、そこに気付けた自分の優位性として解してしまうんじゃないかしら。

これが結局私より若いぐらいの人でも老害めいた挙動言動に陥る理由なんじゃないかな。今やネットで多少人より技術や腕があればそこそこ評価は入る。知識も手に入る。若いが故の勢いで行動して、少しの幸運と金があれば承認欲求がモリモリ満たされる。他人に認められているという(それ自体は真実であるけれど)事をイイねやら何やらで数値として見る。自我が肥大する。

いいねやRTという数値は謂わば戦闘力、マウント合戦の時の数値として意識的無意識的問わず勘違いしやすいんだな。俺はアイツより世間が認めてるから俺の意見は、感覚は正しい、みたいな。

タチが悪い事にカメラ世界はブランドやー、画角やー、値段やー、レア度やー、うんぬんかんぬんの指標が多い。何となく「感じた」事を、恣意的に数字見てくとデータ的(例えそれが幻想、或いは真実とはかけ離れていても)に裏付けられてるように見えちゃう思い込めちゃうんだよね。我々ヲタのひねた感じ、斜に構えた感じ、所謂何かについて話すときに何となくデータに基づいてるとより格好いい、より素晴らしいというnorm、実際は個人の感想以上の何物でもないのに、それがまるでuniversal truth、絶対の真実にしてその真実の代言者、prophetとしての自分というアングルに落とし込めちまうんだな。

そーするとじぶんの意見じゃなくてデータの裏付けがある!俺は感覚だけでなくデータとも合致してる!個人の感覚での話しかできないアイツとは違う!正義は我にあり!歯向かうものには容赦せず、なぜなら我らが奉じるは絶対の真実にして!ってなるよねー。

一つの例としてライカだと思うんですよね。ライカに過剰な精神性見出す人達いるじゃない。でもそれって大体値段、歴史、人とは違うことやってる!っていう3点が主の気がするんだよね。高い金払って不便を買って、写りと言う意味でも別に今や大差はない。そうすると自分が使いやすい、とか色々あるだろうけど精神性見出しちゃう連中は「歴史が認めた本質がわかる俺素敵!高い金払える俺凄い!人とは違うことやってる俺最高!」ってジャスティフィケーションできないと辛すぎるでしょ。矢張り自分が真実に気づいてenlightenedされねると思わないとどっかで折れるでしょ多分。

求道者になれればそう言った凡俗からも解脱するんだろうけど、求道者になるのは難しい。金も労力よカメラや写真にかければ長い人生そりゃあ外野から色々言われることもあるでしょう。それを「でも僕はこれが好きだから」「これが一番使い易いから」って打ち抜き続けるのはかなりパワーがいる。すると所謂機材イキリ、俺にはこんな大層な理由があるのだ、って裏書きが欲しくなるんだろうね。或いは自身と近い意見の取り巻き、クラスタに籠もって、蛸壺視野に陥るか。たちが悪いことに、往々にして蛸壺視野の人間はネット全てが自身に同調していると思い込んで、変なこと書いて自分の視野の外から飛んでくる火矢で炎上するのだけれど。あゝ本能寺。

機材を楽しむのはいいしその良さを広めるのは大いに結構なんだけど、それが他人への批評や批判になると、ね。あとは見た目が悪い奴は嫌悪感持たれやすいし普段の言動が荒いと反感買いやすいし、ようするに普段から礼を失するな、モニタの向こうにあるのは人、っていう昔ながらの言説ですよね。それを気にせず突き進むのなら、求道者か、宗教者か、いずれにせよ一つ上の次元に至らないとアンリミテッドファイアーワークスだと思うんですよねー。

じゃあ、今日はここまで。