模型がリアルであるという事(1)

今回も考察話。例によって一切の科学的根拠があるわけではなく、頭に浮かんだ物を書き留めているだけなのでおかしな所があっても気にしないで下さい。あるいはおかしい所をコメントでご指摘下さると大変有り難く思います。特に今回は妙に文章が纏まらないので御勘弁下さいませ。Kaz氏のblog:Jammo Vox内のポスト「雑記:アイコン(偶像)としての模型製作」が近い内容を鮮やかに纏めておられます。

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たまに書いてるような気がするけども、模型的リアリズム現実的リアリズムの区別ってのがゴッチャになってる人が2ch辺りを見てると結構いらっしゃるように見受けられてしょうがない。その辺りについてのお話。

さて、完成品に対する褒め言葉としてや、キットの出来の良さの指標として使われる事の多い「リアル」という言葉。どうもこいつには2種類あるんじゃないかと思っているわけです。

一つは文字通り現実的なリアル実物の寸分違わぬ縮小物としての模型としては最高の賛辞だね。そしてもう一つは模型としてのリアル。言い替えれば「らしさ」って言葉を使うのが適当かもしれない。

問題なのは、特に日本のモデラー達の意識の中でこの二つがごっちゃになっていそうな所。実物の縮小物としての非リアルは、模型的リアルを否定する事とは全くイコールではないんじゃないかと。言い換えれば、実物の縮小物としてはまったくデタラメであろうとも、作品を見た人間にリアルである、と感じさせる事は全く可能であり、スケールモデルの作品とはまずそうあるべきではないかと思うんだよね。

例えば、フィギュアの顔を塗るという事。これは本当に非リアルの極致と言っても良いかもしれない行為と取れるのではないかと考えてみる。鏡を見ても自分の放齢線と頬とで皮膚の色は同じでしょう?そこにあえて違う色をシャドウ/ハイライトとして乗せる。当然塗り上がった顔は現実の色見とは到底似ても似つかない程コントラストの強い物になる。これを非リアルと呼ばずして何と呼ぶのか。わざわざ当時のドイツ軍のカラーチップまで探して色を作ってるモデラー達が、実物と似ても似つかぬ色を塗っている。しかし結果的にその非リアルな技法によって非リアルに仕上げられた塗装の物が、リアルであると呼ばれる。これはつまり、現実的には非リアルであろうとも、模型的リアルの文法に沿っているならばそれはリアルな作品として評価されるという事を端的に示しているのではないのかな、と思う。

妙に長くなりそうなので一旦切ります。続きは後日。

じゃあ、今日はここまで。